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『アドン』は、砦出版が1974年5月号 - 1996年末まで日本で出版していた男性同性愛者のためのゲイ雑誌である。 == 概説 == 創刊は1974年5月号(発売月不明)からで、編集長は南定四郎(みなみていしろう)が務めた。 南は薔薇族の創刊(1971年)当初、同誌で小説を書くなどしていたが、翌1972年、「アドニスボーイ(The AdonisBoy)」(アドニス通信社)〔アドニスボーイNo.8 昭和48年7月1日発行〕を月刊のタブロイドのミニコミのスタイルで創刊した。創刊号は12月1日発行となっており、1年間で12号まで刊行した(同時期にアドニスボーイに対抗するように「薔薇族ニュース」も出たがすぐに消えている)〔「オトコノコのためのボーイフレンド:ゲイ・ハンドブック~ゲイマガジン~」(少年社・発売雪淫社)〕。その後薔薇族から独立し、ポルノショプのアテネ上野店オーナーからの勧めと出資協力を得て「アドン」を創刊した〔「伊藤文学さんのところにゲイ雑誌Badiの取材がっ!03」より。〕。創刊号は5月号だが、2号は7月号、3号は8月号となっており、月刊化されたのは3号からだと思われる。 1990年前後頃からゲイ理論誌の色彩を強め、グラビアやポルノを載せなくなったことなどを理由に部数が低迷。1996年末に廃刊した。 因みに同じ出版社から『MLMW』(ムルム、1977年7月号創刊-1982年Spring号までの全35号)という、よりスタイリッシュで成人記事は載せないゲイ雑誌が創刊されていた〔。同誌は外国雑誌からの転載が多く、3号までは季刊、4号からは隔月刊で、17号から33号までが月刊〔15号の表紙には「月刊第1号」とあるが、前号の「No.14,1979年11月」から1ヶ月空いて「No.15,1980年1月」となっていて、次号のNo.16は1980年3月、No.17は1980年4月 と表記されており、表記月上は17号から33号までが月刊。 *MLMWの表紙(1号~35号) 〕、34号(1981年Winter号)と35号(1982年Spring号)が季刊である。MLMWの表紙は武内条二が担当し、初期の頃の同誌には『褌遊』(こんゆう)という写真集で知られた栗浜陽三の作品が載っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アドン (雑誌)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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